史料の中の平家
吾妻鏡
鎌倉幕府の正史『吾妻鏡』から、平家一門と僧侶、御家人(平家への忠誠をまっとうした者、あるいは重代相伝の家人に限る)の活躍場面を抽出。
巻第一…治承4年(1180)
巻第二…治承5年(1181)-寿永元年(1182)
巻第三…寿永3年(1184)-元暦元年(1184)
巻第四・五…元暦2年(1185)-文治元年(1185)
巻第六…文治2年(1186)
巻第七・八…文治3年(1187)-文治4年(1188)
巻第九~十二…文治5年(1189)-建久3年(1192)
巻第十三~十六…建久4年(1193)-正治2年(1200)
巻第十七~十八…正治3年(1201)-建永2年(1207)
巻第十九~二十三…承元2年(1208)-建保6年(1218)
巻第二十四~二十九…建保7年(1219)-文暦2年(1235)
鶴岡八幡宮寺供僧次第
鎌倉の鶴岡八幡宮には多くの平家一門が僧侶として奉仕していた。鶴岡25坊の歴代供僧を記した「鶴岡八幡宮寺供僧次第」から、初代供僧を務めた平家一門を紹介する。
歌集
宮廷貴族にふさわしい教養も備えていた平家一門の歌集を紹介する。
高倉院厳島御幸記
治承4年(1180)2月、安徳天皇に譲位した高倉上皇が退位後、初の参詣として厳島神社に赴いた旅の模様を記録した源通親の紀行文。
安元御賀記
藤原隆房が安元2年(1176)3月の後白河法皇の50歳の賀宴の様子を描いた記録。平維盛の青海波をはじめ、平家一門が華麗な舞や管弦、蹴鞠を披露した。