平忠度朝臣集
春
立春
東路や一夜かほとに來る春にいかて先たつかすみなるらん
霞
いかなれはおなし霞のなかめやる遠ちの里は深くみゆらむ
經盛卿家哥合に霞をよめる
さいたつまゝたうら若みみよし野の霞隱れにきゝす鳴なり
子日
千世ふへき子日松に袖かけてひくまの野へにけふは暮しつ
若菜
雲分てゑくの若なも生にけりけふのためとはいかてしり劔
雪中若菜
いかてわか野中の雪に跡つけて下もえ渡るわかなつまゝし
殘雪
年の内は亦ふりなむと思ふたに消るは雪の惜くやはあらぬ
梅
香をとめて人はこすとも梅の花よきてをわたれ春の山かせ
夜思梅花といふ心を人々よみ侍りしに
むめの花よるは夢にも見てしかな闇のうつゝの匂はかりに
故郷梅花をよめる
故郷はそこともみえす梅かえの(のはな)匂ふや宿の軒端なるらん
柳
青柳の糸染かけて佐保姫は見にくる人のなきやうらむる
櫻
惜かねちる花ことにたくふれは心も風にさそはれにけり
みよし野の花咲にけり常よりも朝ゐる雲の晴るゝまもなき
賀茂哥合に花をよめる
木のもとをやかて住家となさしとて思ひかほにや花は散覧
爲業哥合に故郷花
さゝ波や志賀の都はあれにしを昔なからの山さくらかな
東山の花見侍りけるに家つとはおらすやと人の申侍りけれは
家つともまた折しらす山さくら散ぬに歸るならひなけれは
呼子鳥
聞佗て我かとはかり答ふれとさもあらすとやなをよふこ鳥
苗代
苗代にせきやとむらん垣ねもるいさら(さ)小河の音よはるなり
人々三月盡の哥をよみ侍りしに
我身にはよそなる春と思へとも暮行けふは惜くやはあらぬ
明るまてなかめあかして
暮ゆくもさすか名殘やとめつらむ哀かはらぬ明ほのゝ空
夏
卯花
心あらむ人もかくこそ植てみめ賤か垣ねにさけるうの花
卯花藏水
もり出る音にてそしる卯花のしつ枝しからむ玉河の水
郭公
待えたる心地こそせねほとゝきす遠里小野の夜半の一こゑ
海邊郭公
卯花と浪やみゆらんほとゝきすまかきか嶋にきつゝなく也
菖蒲
あやめ草たつぬる人の心にそまつ長きねはかゝりそめける
夏草
小萩原また花さかぬ宮城野に何を妻とて鹿のふすらん
隣家盧橘
匂ふなる花立はなやいにしへをやとの隣にさそひきつらん
螢
身の程は(に)思ひあまれる景色にていつちともなく行ほたる哉
瀧下螢火
秋近くなりやしぬらん清たきの河せ涼しくほたる飛かふ
夕氷室
ひむろ山あたりの外やいかならん夕風(かけ)すゝしみな月の空
秋
立秋
秋きぬとしらて聞とも大かたはあやしかるへき風の音かな
月前草花
萩かはな手折はぬるる袖にさへ露をしたひてやとる月かけ
薄
花すゝき靡くけしきにしるき哉風ふきかはる秋のゆふくれ
萩
衣手に吹くるかせもおきの葉に音信てこそ身にはしみけれ
故郷萩
萩原と見るそ悲しきたかまとの尾上の宮の昔ならねと
河原院にて故郷鶉といふ事を人々よみ侍しに
鹽かまの昔のあとはあれはてゝ浅茅か原にうつらなく也
鹿
さよ更て鹿の音遠くなり行は峯の嵐や吹よはるらん
さらぬたに秋のね覺は悲しきを(に)いかにせよとか鹿のなく覧
霧
旅人にあらぬ我さへ夕きりにわたせわするゝみなれ河かな
駒迎
小夜更て世田の長はし引わたせ音もさやけし望月の駒
月
宵のまも空やはかゝるいかなれは更ゆくまゝに月のすむ覧
月影はいつことわかし物ゆへに宿に心のとまらさるらむ
おしか野のたかはかりしきさぬる夜を後も忍へとすめる月哉
野徑月
月影の入をかきりに分行はいつこかとまり野原しのはら
關路月
月影もうつしとゝめすあふさかの關は清水の名に社有けれ
九月十三夜
おしといへと秋の半の月はなほ今宵もありと思ひなされき
遍照寺にて人々月見侍りしに
あれにける宿とて月はかはらねと昔の影は猶そゆかしき
旅宿擣衣
旅ねする竹田の里にうつ衣一夜の程にきゝそなれぬる
法金剛院にて池邊紅葉といふ事を人々よみ侍りしに
青葉をは池のみ草にまかへつゝ色つく枝そ影は見えける
山家の秋の暮といふ事を
山里にすみぬへしやとならはせる心もたへぬ秋のゆふ暮
冬
初冬
荻の葉に哀しらせし風の音の今朝はいつしかと烈しかる覧
落葉
峯つゝき吹こす風にさそはれてもみち散かふ常盤木のもり
霰
うちはらふ心ちこそすれ旅ころも袖にたはしるけさの霰は
雪
かさこしの峯にたまらぬ白雪ははれゆく空に猶そふりける
海邊雪
うちそよく水のむら芦下折て浦さひしくそ雪ふりにける
千鳥
うきねする磯間の浦のさよ千鳥友よひかはす聲きこゆ也
月前千鳥
小夜更て月影さむみ玉の浦のはなれ小嶋に千鳥なくなり
曉更千鳥
ねさめするわれしもともと(か友としも)おもはてや野嶋か崎に千鳥鳴覧
炭竈
山高み雪けの空と見ゆるまて幾すみかまのけふり立らん
除夜
人数にあらぬをなけく我身さへ春とあすよりいはふへき哉
戀
初ていひ出る戀といふ事人にかはりて
わか身より戀はよそなる物なれや忍ふ心にかなはさるらん
互忍戀
かゝらしと思ひし事を忍ひかね戀に心をまかせはてつる
戀遠鄕人
こひわたる妹か住家は思ひねの夢路にさへそ遥けかりける
隔河戀
まれにたにあふ夜もあらは天河隔つる星やたくひならまし
月前戀
月影や深き戀路のしるへなるなかむるまゝにおもひ入ぬる
神かけてちかひ侍ける女のさうしなるよしを申あひ侍らさりけれは
思ひきやかけて誓ひしその神のいもゐによせてたえむ中とは
忍ひて人に物申けるにかねもうちつなりといさめけれは
鳥の音をしはし侍みよさゆる夜は霜にもあへす鐘もなる覧
浮世をは歎きなからも過しきて戀に我身やたへすなりけむ
いかゝせむこはよの常の習ひそと戀しもなそや思ひなされぬ
おもひ出る人なき夜半の袖たにもたゝなる物か秋の寝覚は
經盛卿の福原の山庄にて寄松戀といふ事を
賴めつゝ日數積りのうらみても侍より外のなくさめそなき
寄名所戀
身をすては哀共みよ猿澤のいけるよにこそなさけなからめ
寄源氏戀
あふとみる(し)夢さめぬれはつらき哉旅ねの床にかよふ松かせ
夢中會戀
夢さめて名残に堪すなりゆくはあふとみつるにかへん命か
年をへてつれなき女に
恨みかね背きはてなむと思ふより(にそ〔玉葉戀一〕)浮世につらき人そ(も)嬉しき
絶後悔戀
忘れにし心をのみそ恨むへき人はたえねといとひやはせし
なにとなくいひかわしける女にしたしきさまに成へきよしをいはせ侍て後心うきたるさまに見えけれは
いとはるゝ方こそあらめ更に又(今さらに〔玉葉〕)よその情は變らさらなん
雑
閨冷夢驚といふことを人にかはりて
風の音に秋の夜ふかくね覚して見はてぬ夢の名残をそ思ふ
ある所の屏風の繪にあれたる家に老人花みたる所を人々よみ侍りしに
夏淋し昔にあらすふりぬるをしらぬ翁と人やみるらむ
女房大輔に初てあひて哥よみ歌談なとしてあくるあしたにつかはしける
難波津のふるきなかれをせきとむる心の水を深くみしかな
友たちの今まうてくると申て音もし侍らてあくるあしたに月みる人にいさなはれて心の外なりしさまとことなしひけしたりける返事に
月をみて侍れぬ夜はのあらは社賴めてこぬもわきて思はめ
法綸寺にこもりたる人の申送りて侍りける
思ひたつ心よはくもぬるゝかな草の庵にすみそめの袖
返し人にかはりて
草の庵は思ひやるたに露けきにさそ墨染の袖はぬるらん
なけく事侍りける頃おなしさまなる人のもとより申をくりて侍りける
侘人の涙にぬるゝ袖に又秋は露さへをくそかなしき
かへし
さもこそはおなし歎きといひなから露もかはらぬ袖のうえ哉
世のはかなき事なと侍從に申て侍りしほとに山里に籠りぬるを聞て申送り侍りし
あやなしな世をそむきなは忍へとは我こそ君に契り置しか
長恨哥のこゝろを
冬來ては何をかたみに眺めまし浅茅か原も霜枯れにけり
盛方朝臣書置たる(たりける)萬葉集を彼人身まかりて後後室のもとへ返しつかはすとて
有りし世は思はさりけむ書置てこれをかたみと人しのへとは
返し 後室(家)
見ても猶袖そぬれぬるなき人のかたみと忍ふ水莖のあと
忍てもの申ける女心にもあらす絶侍りにける後こと人にあひかたらひてほとなく身まかり侍りにけれは誰ともなくて母のもとにさしをかせ侍ける
諸ともに心のまゝに歎くらん人さへはてはうらやまれつゝ
親のいさめけれは中たえにける女の身まかりぬと聞てよみ侍りける
わかる共有しなからの中ならはふたゝひ物は思はさらまし
法華經品々の哥よみし中に信解品
たらちねときかぬ先より大方は怪しき迄そなつさひにける
提婆品
よそに社仇とみゆとも千年まてつかへし中は隔てしもせし
安樂行品
そのたまを結ひこめける元結もとくへきほとの有ける物を
觀音品
おり立て頼むとなれは飛鳥河淵のせになるものとこそきけ
八幡臨時祭
神さひて猶やさしきはもろ人のあさくらかへす春の明けほの
賀茂哥合に述懐の心を
ひたすらに祈るにあらす思ひかね背きはつへき世共しらせよ
述懐
なからへはさり共と思ふ心社時(うき〔玉葉雑五〕)につけつゝよはりはてぬれ
祝
千年とそ先いはれたる君かためおもふ心はかきりなけれと
三位中将重衡のもとより内の御大はん所へ梅につけてまいらせむとてこはれて侍りしに
千年經へき君かゝさしに比春は(そ)手をりそめつる宿の梅かえ
右之本者。薩摩守忠度朝臣。俊成卿のもとへ遺し侍りし。自筆の本を大樹より出され。兵部卿宗綱卿にかきてまいらすへきよし仰らる。然るに予彼卿の學席に行て。後世の證本にそなへんかため。みしかき筆にまかせて。寫留めよみ合侍りけるとなん。
文明十六年春三月中の三日 羽林藤原基春
右忠度朝臣集以古寫二本比校了
参考文献
塙保己一編『群書類従 第十五輯』「平忠度朝臣集」(続群書類従完成会)