信濃
その1-徳音寺
久寿2年(1155)、木曾義仲は2歳の時、父義賢が武蔵国大蔵で悪源太義平に討たれたため、畠山重能、斎藤実盛らに助けられて木曾谷のに逃れました。以来、挙兵するまでの25年間を乳母の夫である同地の豪族中原兼遠に養われ、乳母子の今井兼平や巴御前らとともに少年時代をすごしました。希代の名称義仲を育んだ自然豊かな木曾を訪ねます。
その2-旗挙八幡宮
治承4年(1180)9月、木曾義仲は以仁王の令旨を奉じて挙兵します。従うのは巴御前に今井兼平、樋口兼光、根井行親、楯親忠の“木曾四天王”。木曾谷を出撃した義仲は、信濃の麻績・会田で平家方勢力と初戦を戦い、9月7日、信濃国市原で信濃の平家家人笠原頼直を撃破しました。木曾の風雲児義仲の快進撃が始まった記念すべき挙兵の地を訪れます。
その3-横田河原・善光寺
信濃で緒戦を飾った義仲は、亡父義賢の故地である上野に進出して在地武士を組織しましたが、関東一帯を平定した頼朝の勢力に押し返されます。信濃に戻った義仲を待っていたのは、平家の有力家人で北陸最大の豪族である城助職との戦いでした。治承5年(1181)6月、義仲は信濃の佐久党や甲斐源氏と連合して、城氏の大軍を千曲川の横田河原で破って越後に進出。平家の経済基盤である北陸道を席巻し、京の平家に脅威を与えます。
参考文献
上杉和彦著『戦争の日本史6 源平の争乱』(吉川弘文館)/永井晋著『源頼政と木曽義仲』(中公新書)/中丸満著『源平興亡三百年』(ソフトバンク新書)/ 松尾葦江監修『平家物語を歩く』(JTBキャンブックス)/安西篤子ほか『源平ものがたり』(学研)/『真説・歴史の道 いざ川中島へ』(小学館ウィークリーブック)/善光寺公式HP