筑前
その1-大宰府
日宋貿易は平家の最大の財政基盤の一つ。そのため、対外貿易の窓口であった大宰府は平家にとって重要な意味を持っていました。保元の乱の戦功により播磨守に任ぜられた清盛は任期半ばで大宰大弐(大宰府の次官であるが、実質的に府務を掌握)に任ぜられ、家人を派遣して府務にあたらせました。また、清盛の後に大宰大弐になった頼盛にいたっては自ら赴任しています。都落ち後、平家一門がまず大宰府を訪れたのも、こうした基盤があったからにほかなりません。
周辺史跡
その2-柳の御所
寿永2年(1183)8月、都落した平家一門は九州の大宰府に到着し、かの地に内裏を造営しようとします。ところがその矢先、重盛の元家人・緒方維義が謀反を起こす。3万騎の軍兵を率いて大宰府に進撃中との報を受けた一門は、原田種直や山鹿秀遠など在地豪族に守られながらふたたび大宰府を落ち、豊前柳ケ浦から海上へ逃れ出ました。
周辺史跡
参考文献
日下力監修『平家物語を歩く』(講談社カルチャーブックス)/竹内理三著『日本の歴史6 武士の登場』(中公文庫)/西田直敏著『平家物語への旅』(人文書院)/古都大宰府保存協会公式HP/太宰府天満宮公式HP