豊前
その1-宇佐八幡宮
宇佐八幡宮(宇佐神宮)は全国4万におよぶ八幡宮の総本宮。応神天皇を祭神として神亀2年(725)に創建されました。平安時代末期、日宋貿易の掌握をめざす平家は、大宰府をはじめ九州一円に影響力をもつ同社を取り込むため、大宮司の宇佐公通に官位を与えるなど親密な関係を築きました。福原遷都のさ中の治承4年(1180)10月には清盛自ら宇佐を訪問し蜜月関係を演出しています。『平家物語』によると、九州の謀反を京の平家に最初に伝えたのは公通でした。また、都落ちして九州に下った平家一門はまず宇佐に行幸し公通の宿所を内裏にしたといいます。平家一門が尊崇した宇佐八幡宮を訪れます。
その2-柳ヶ浦
寿永2年(1183)8月、都落し九州に入った平家一門は、大宰府の筆頭官人である原田種直に迎えられました。しかし、後白河法皇の近臣である豊後知行国主藤原頼輔は、子の豊後守藤原頼経に平家を九州から追い出すよう命じます。かつて平重盛の家人だった緒方惟義は頼経の命を受けて兵をあげ、平家は大宰府から逃走。遠賀川河口の山鹿秀遠の城に籠ったのち、豊前柳ケ浦から海上へ逃れ出ました。この時、重盛の三男清経は「ながらへはつべき身にもあらず」といって前途を悲観し、入水自殺を遂げたと『平家物語』は記しています。
その他の九州の史跡
参考文献
山下宏明・梶原正昭校注『平家物語(三)』(岩波文庫)/高橋昌明著『平清盛 福原の夢』(講談社選書メチエ)/高橋昌明著『平家の群像 物語から史実へ』(岩波新書)/白洲正子著『謡曲平家物語』(講談社文芸文庫)/五味文彦・本郷和人編『現代語訳 吾妻鏡(2)平家滅亡』(吉川弘文館)/宇佐神宮公式HP