洛西編
その1-嵯峨野
『平家物語』において嵯峨野といえば、現世を厭い都を捨てた人たちの行き着く場所としてしばしば登場します。清盛に捨てられた元白拍子の祇王・祇女姉妹とその母・刀自は「嵯峨の奥なる山里」に隠棲しました。清盛のために高倉天皇との仲を引き裂かれた小督局は、嵯峨野に隠れ住み月の綺麗な夜、琴をつま弾きます。また、父親に横笛との仲を裂かれた滝口入道も高野に登る前は「嵯峨の往生院におこなひすまして」いました。『平家物語』の悲恋の裏舞台を訪ねます。
その2-祇王寺・滝口寺
平家物語の中で最も有名な章段の一つ「祇王」。維盛の出家を助けた滝口入道の悲恋の物語として名高い「横笛」。この二つの美しい説話にまつわる寺が、奥嵯峨にひっそりと隣り合っています。祇王寺と滝口寺。かつては法然の弟子・良鎮がひらいた往生院の一部でした。両寺ともしっとりとした情緒を醸し、物語の無常観をよく映し出しています。
その3-仁和寺
仁和寺は真言宗御室派の総本山。代々、法親王(出家後に親王宣下を受けた皇子)を門跡(皇族や貴族が入る特定寺院)に迎えた仁和寺は源平争乱の時代、争乱に巻き込まれた多くの人々の拠り所となりました。保元の乱では、乱に敗れ白河殿から落ち延びた崇徳院が覚性法親王を頼り、平治の乱の折には、信頼・義朝の監視の眼をくぐり抜けた後白河上皇が御幸しました。中でも平家都落ちの際、平経正と琵琶の名器・青山の話は、忠度の都落ちとともに印象深いエピソードの一つといえるでしょう。
その4-神護寺
『平家物語』において頼朝挙兵の影の立役者とされる文覚上人。その文覚が生涯を賭して再興に情熱を捧げたのが高雄山神護寺です。承安3年(1173)法住寺殿に出向いて後白河法皇に神護寺再興の勧進を求めた文覚は、後白河法皇の再三の退出命令にも関わらず居座り続けたため、北面の武士に捕らえられ伊豆へ流されます。伊豆では頼朝に平家打倒の挙兵を勧め、平家滅亡後は一転、維盛の遺児・六代の助命嘆願に尽力し弟子にして神護寺に引き取った文覚。常に権力に対して批判的姿勢を貫いた人物でした。
参考文献
山下宏明・梶原正昭校注『平家物語(一)』(岩波文庫)/山下宏明・梶原正昭校注『平家物語(四)』(岩波文庫)/ 上横手雅敬著『平家物語の虚構と真実(上)』(塙新書)/梶原正昭編『平家物語必携』(學燈社)/ 西田直敏著『平家物語への旅』(人文書院)/ 日下力監修『平家物語を歩く』(講談社カルチャーブックス)/ 蔵田敏明著『平家物語の京都を歩く』(淡交社)/ 小学館ウィークリーブック『週刊古寺をゆく28 仁和寺と洛西の名刹』(小学館)