洛南編
その1-鳥羽殿
洛南の鳥羽は白河・鳥羽の二代の上皇が広大な御所を造営し院政の拠点とした場所。平安後期の政治の中枢のひとつであるとともに、以後、室町時代前期まで続く院政「発祥の地」でもあります。治承三年のクーデターにより後白河法皇が流されたのもここ鳥羽離宮でした。鳥羽殿は南北一キロメートル、東西一・五キロメートルに及ぶ広大な離宮で、南側は広大な巨椋池に接しており、南殿や馬場殿などの各殿舎への移動は船で行ったといわれます。院政ファンの聖地・鳥羽を探訪します。
その2-安楽寿院
保元元年(1156)6月、鳥羽法皇が重態に落ちると、崇徳上皇、藤原頼長の決起に備えて、鳥羽院の北面である平盛兼や源光保らに鳥羽殿の警固が命じられました。7月2日、父鳥羽の見舞いに訪れた崇徳上皇は法皇の近臣に阻まれて対面できずにむなしく引き返し、それを聞いた鳥羽は一瞬目をきらりと見上げて息を引き取ったと『愚管抄』は伝えています。恨みを飲んだ崇徳はこの直後、鳥羽の田中殿から白河北殿へ移って挙兵し、保元の乱が幕を開けるのです。
その3-宇治川
平家物語には、宇治を舞台にした印象的な二つの物語があり、いずれも物語中の名場面として知られています。一つは以仁王の乱における三井寺堂衆による橋合戦です。橋板をはずした宇治橋の上で、三井寺の悪僧たちが曲芸的な戦闘を繰り広げるエンタテインメント性の強い場面ですが、源三位頼政や以仁王の敗死など戦争の悲惨さも見ることができます。もう一つは京都に侵攻した義経軍と義仲軍との戦闘における佐々木四郎高綱と梶原源太景季との先陣争いです。両者名馬を駆使して、だまし合い、功名を競うスリリングな展開は、平曲で聴いても手に汗握ります。
その4-平等院
平等院は藤原氏全盛期の関白頼道が父・道長の別荘を寺院に改めたものです。平氏軍に宇治川を越えられた頼政一行は、平等院の中で最後の一戦を繰り広げます。ここで頼政は子息の仲綱・兼綱等を失い、自らも辞世の句を詠みながら自刃したと、平家物語は伝えています。
関連史跡
その5-石清水八幡宮
石清水八幡宮は貞観元年(859)、行教和尚によって豊後の宇佐八幡を京都盆地南西の男山に勧請して創建されたました。10世紀半ば、承平・天慶の乱の鎮圧に霊験を顕して以来、国家鎮護の社として皇室の崇敬を受けました。また、武門源氏は八幡大神様を氏神として尊崇し、文武両道の名将として名高い源義家は同社で元服し「八幡太郎」を称したことはよく知られています。
周辺史跡
参考文献
山下宏明・梶原正昭校注『平家物語(一)(三)(四)』(岩波文庫)/ 上横手雅敬著『平家物語の虚構と真実(上)』(塙新書)/梶原正昭編『平家物語必携』(學燈社)/ 西田直敏著『平家物語への旅』(人文書院)/ 日下力監修『平家物語を歩く』(講談社カルチャーブックス)/ 蔵田敏明著『平家物語の京都を歩く』(淡交社)/ 小学館ウィークリーブック『週刊古寺をゆく28 仁和寺と洛西の名刹』(小学館)/石清水八幡宮ホームページ/五味文彦・本郷和人編『現代語訳 吾妻鏡6』(吉川弘文館)