生田・一ノ谷
その1-生田・山の手
都落ちの後、勢力を盛りかえした平家軍は瀬戸内海の制海権を握り、寿永3年(1184)正月、旧都福原に陣を敷きました。一ノ谷は「北は山、南は海、口はせばくて奥ひろし。岸たかくして屏風を立てたるにことならず」という天然の要害。かつ東は生田の森に城戸口を構え、西は一ノ谷に城郭を築き、海上には無数の兵船を浮かべた防御は鉄壁のはずでした。しかし、義経が仕掛けた「鵯越の逆落し」の奇襲(多田行綱とする説も)により平家軍は潰走、平家による京都奪還の夢はもろくも崩れさったのです。
その2-一ノ谷
源平合戦の中でも屈指の激戦となった一ノ谷の合戦。この戦いで知盛の嫡子・知章や重盛の子・師盛などの若い公達をはじめ、小宰相との恋愛で知られる通盛、経盛の3人の子、経正・経俊・敦盛など、平家一門の主だった面々が相次いで討ち死にしました。文武両道の偉丈夫薩摩守忠度が大将軍を務めた搦手の一ノ谷を訪れます。
明石市の一ノ谷合戦関連史跡
その3-須磨寺
一ノ谷で討ち死にした平家の公達の中でも、平敦盛の哀話は平家物語の白眉として能や浄瑠璃の題材ともなり、今なお聞く者、見る者の涙を誘います。敦盛や源平合戦ゆかりの史跡、宝物が数多く残されている、敦盛ファンの聖地須磨寺を訪れます。
参考文献
山下宏明・梶原正昭校注『平家物語(三)』(岩波文庫)/五味文彦・本郷和人編『現代語訳 吾妻鏡(2)平氏滅亡』(吉川弘文館)/日下力監修『平家物語を歩く』(講談社カルチャーブックス)/ 安田元久著『平家の群像』(塙新書)/ 白洲正子著『謡曲 平家物語』(講談社文芸文庫)/安西篤子・佐方郁子ほか『源平ものがたり』(学研)/高橋昌明著『都鄙大乱』(岩波書店)/高橋昌明著『平家の群像 物語から史実へ』(岩波新書)/須磨寺公式サイト