福原京
その1-大輪田泊
仁安3年(1168)、出家して「入道大相国」と呼ばれるようになった清盛は、摂津の福原に別荘を構え遁世生活に入ります。以後、清盛は大輪田泊を改築して日宋貿易の拠点とし、後白河法皇を招いて千僧供養を行うなど、福原を拠点に政治や貿易に介入しました。中でも清盛が情熱を注いだのが大輪田泊の改築です。引退後、私財を投じて風波から船を守るための人工島の造成に着手。途中、激しい風波で何度も崩れ、人柱を立てようという意見も出ましたが、清盛は「それは罪業である」といって取り上げず、経文を書いた石を沈めて島の基礎にした逸話が『平家物語』に見えます。清盛によって基礎が築かれ、日本屈指の貿易港に発展した兵庫港を訪ねました。
その2-平野
治承4年(1180)6月、清盛は突如、安徳天皇をはじめ高倉上皇、後白河法皇、中宮徳子や平氏一門、公卿・殿上人を伴い、福原に向かいます。世にいう「福原遷都」です。上皇や貴族、平家一門すら遷都への反対を表明する中、清盛は私邸を安徳天皇の内裏として提供し、公卿たちに宅地を与えて邸宅の造成を進めるなど、遷都を既成事実化を進めました。しかし清盛畢生の大事業も、8月、伊豆で勃発した源頼朝の反乱、それに続く全国的な内乱の勃発によってとん挫し、11月、清盛によって京への還都が命じられるのです。清盛が別荘を築いた平野の地を訪れます。
その3-荒田・夢野
平家一門のうち、清盛の嫡流家に次ぐ家格を誇った池大納言頼盛。棟梁の座をめぐって異母兄清盛との確執を抱えていたともいわれていますが、清盛に次いで大宰大弐となり日宋貿易に取り組み、“平家の都”福原にも別邸を構えるなど、しっかりと平家の栄華を享受していました。頼盛が別邸を構え、福原遷都では安徳天皇が行幸した荒田、教盛が邸宅を構えた夢野を訪ねます。
その4-北野
神戸屈指の観光地・北野異人館街に位置する北野天満神社は、福原遷都の折、清盛が新都鎮護のために勧請させたとのが始まりとされています。高台からを望む風光明媚なこの地は北野と呼ばれ、中世の動乱と国際都市・神戸の発展を見つめ続けてきました。
参考文献
日下力監修『平家物語を歩く』(講談社カルチャーブックス)/ 五味文彦著『人物叢書・平清盛』(吉川弘文館)/ 高橋昌明著『平清盛 福原の夢』(講談社選書メチエ)/歴史資料ネットワーク編『平家と福原京の時代』(岩田書院ブックレット)/小柳素子著『歌人が歩いた平家物語』(角川学芸ブックス)/北野天満神社公式サイト