呉・尾道

その1-音戸の瀬戸

音戸の瀬戸は広島県呉市と倉橋島を隔てる幅90メートルほどの海峡。当地の伝説によると、清盛が工事に着手したのは長寛2年(1164)。竣工まで10か月を要する難工事でしたが、ようやく竣工をみようとした翌永万元年(1165)7月16日、引き潮を見計らって工事を命じたところ間に合わず、太陽が沈みかけました。そこで、清盛は西の海に沈みゆく太陽を金の扇で呼び返し、その日のうちに完成させたと伝えられています。華麗な清盛伝説に彩られた瀬戸内の名勝を巡ります。

高鳥台公園

高鳥台公園

高鳥台公園の二重の塔

高鳥台公園二重塔

高鳥台公園の二重塔の顕彰碑

清盛顕彰碑

高鳥台公園の展望台から音戸の瀬戸を望む

音戸の瀬戸

清盛の日招き像

清盛日招き像

清盛の日招き像

清盛日招き像

清盛の日招き像

清盛日招き像

清盛の日招き像

清盛日招き像

警固屋展望台から音戸の瀬戸を望む

警固屋展望台

吉川英治記念文学碑

吉川英治記念文学碑

音戸の瀬戸

音戸の瀬戸

音戸大橋

音戸大橋

音戸大橋と「音戸の渡し船」

音戸の渡し船

清盛塚

清盛塚

清盛塚

清盛塚

清盛塚の石碑

清盛塚

音戸観光文化会館「うずしお」

音戸観光文化会館

清盛祭を再現した動く人形行列

清盛祭

胡子神社

胡子神社

その2-尾道

尾道は呉と並ぶ瀬戸内有数の港町。平家政権の時代は平重衡が預所を務めた備後国太田荘の倉敷が設定され、厳島神社から音戸の瀬戸、摂津の大輪田泊に連なる瀬戸内航路の拠点となりました。風情ある町並みや歴史的景観が残され、数々の映画の舞台にもなった尾道を訪れます。

千光寺からみた尾道水道

尾道水道

千光寺からみた尾道水道

尾道水道

千光寺からみた尾道水道

千光寺本堂

尾道の浄土寺多宝塔と阿弥陀堂

浄土寺

尾道の浄土寺本堂

浄土寺本堂

尾道の西國寺山門

西國寺山門

尾道の西國寺の金堂と三重塔

西國寺金堂

尾道の町並み

尾道

その3-鞆の浦

尾道の東、福山市の南にある鞆の浦は、『万葉集』にも詠まれた古来からの良港。一説に屋島の戦いの後、能登守教経率いる平家の一軍が鞆の浦から上陸して能登原に陣を張り、源氏軍と戦ったともいわれています。また、北の沼隈町の山中には平通盛が隠れ住んだという平家谷、西の海沿いには高倉上皇の厳島御幸の帰途に停泊地となった敷名の泊もあります。

鞆港の常夜灯

常夜灯

太田家住宅

太田家住宅

鞆城から鞆の浦を望む

鞆の浦

圓福寺から仙酔島を望む

仙酔島

弁天島と平成いろは丸

弁天島

穴葉神社から見た鞆の浦

鞆の浦

圓福寺近くの猫

鞆の猫

小松寺の入口

小松寺入口

小松内府重盛の石柱

重盛石標

小松寺の境内

小松寺境内

小松寺本堂

小松寺本堂

小松寺の五輪塔

五輪塔

沼名前神社

沼名前神社

沼名前神社

沼名前神社鳥居

参考文献

村井康雄著『平家物語の世界』(徳間書店)/ 下向井龍彦著『日本の歴史07 武士の成長と院政』(講談社)/五味文彦著『日本の中世を歩く』(岩波新書)/ 日下力監修『平家物語を歩く』(講談社カルチャーブックス)/沼名前神社公式HP