宮島
その1-厳島神社
厳島神社は、もとは「伊都岐島」と呼ばれ、推古朝の頃に造られて以来、安芸国第一の霊社として尊崇を受けていました。しかし、現在見ることのできる華麗な社殿は、厳島を篤く尊崇した清盛によって嘉応元年に造営されたものです。瀬戸内航路を掌握し、日宋貿易を推進した“海の平家”の象徴。寝殿造の様式を巧みに取り入れた朱塗りの社殿、厳島のシンボルともいえる海の中の大鳥居、背後には山がそびえ、眼前は紺碧の海が広がります。山と海と社が絶妙なバランスで溶けあい、天然美と人工美が見事に調和した天上的な美しさは、見るものを夢の世界へと誘います。
その2-清盛神社
平清盛が安芸国一宮である厳島神社に深い信仰を寄せるのは仁平元年(1151)、清盛が安芸守に就任してからと考えられています。『古事談』によると、清盛が高野山の大塔造営を務めていた時、弘法大師の化身が現れ「日本国の大日如来は伊勢大神宮と安芸の厳島である」といい、厳島に奉仕するよう命じたとされています。高野信仰を説く伝説ですが、「平家納経」の清盛自筆願文にも、夢想を受けて厳島を敬った結果、一門の繁栄をみた旨が記されており、何らかの神託があったことは事実のようです。その清盛も没後770年、宮島に神として祀られました。清盛をご神体とする清盛神社と厳島神社周辺のスポットを訪ねます。
その3-大聖院
大聖院は厳島神社の南の弥山山麓にある真言宗御室派の大本山。唐から帰国した弘法大師空海が修行し、大同元年(806)に開いたとされ、平安後期には鳥羽上皇の勅願道場となり、明治の神仏分離令まで厳島神社の別当寺でした。『平家物語』巻四「還御」で、高倉上皇の厳島御幸の際に法印に任じられたという座主尊永は大聖院の別当であったと推測され、『高倉院厳島御幸記』にも「宮島の座主」が阿闍梨に補せられたと記されています。
周辺史跡
その4-弥山
標高530メートルの弥山は宮島の主峰で、大同元年(806)、弘法大師が唐の須弥山に似ているところから弥山と命名し、自ら100日間の求聞持の秘法を修したといわれています。山内は天然記念物の原生林に覆われ、各所に奇岩怪石を見ることができ、伊藤博文をして宮島の真価は頂上の眺めにあるといわしめました。弥山本堂には平宗盛寄進といわれる梵鐘も残されています。神の島、宮島の頂上をめざします。
参考文献
梶原正昭・山下宏明校注『平家物語(二)』(岩波文庫)/大曾根章介・久保田淳校注『高倉院厳島御幸記』(群書類従 第十八輯)/五味文彦著『人物叢書・平清盛』(吉川弘文館)/高橋昌明著『平清盛 福原の夢』(講談社選書メチエ)/五味文彦著『日本の中世を歩く』(中公新書)/永井路子著『「平家物語」を旅しよう』(講談社文庫)/週刊・神社紀行3「厳島神社 平家の栄華を偲ぶ」(学研)/週刊・日本遺産13『厳島神社 原爆ドーム』(朝日新聞社)/宮島観光協会公式HP/大聖院公式HP